注目のU・Iターン情報

Vol.44 創業140年超の歴史ある企業へ。30代男性2人のU・Iターン物語

プロフィール

野村さん(右)

奈良県奈良市出身。大学卒業後、大阪の鋼材販売会社に就職。2019年11月、Iターンで近藤與助工業に転職。趣味は旅行。

岡島さん(左)

新潟市西区出身。奈良県内の大学を卒業後、事務機器の販売会社に就職し、神奈川・長野の店舗に勤務。2019年10月、Uターンで近藤與助工業に転職。

 

なぜ、U・Iターンを志したのか

野村さん もともと旅行が好きで、国内を中心にさまざまな地域を訪ねるうちに、これまでずっと暮らしてきた関西以外の地域に住んでみたいという思いが強くなり、新潟へのIターンを決意しました。数ある地域のなかで新潟を選んだのは、旅行で2度訪れたことがあったこと、そして何よりも、採用活動がうまく進んだからです。福岡や仙台の転職エージェントにも登録し、仕事を紹介してもらってはいたものの、あまりピンとこないというかなんというか。サービス業とか、転勤ありとか、私の希望とは今ひとつ合致しない仕事ばかりだったんですね。そんななかで、新潟U・Iターンコンシェルジュから紹介してもらったのが近藤與助工業でした。正直な話、前職と同じ鉄鋼業に携わるということは考えていなかったのですが、“鉄鋼が嫌になったらOA機器部門に行かせてもらえばいいか”という、少々軽い気持ちで面接を受けることにしました。そうしたら、わずか一週間くらいで内定の連絡をもらえた。「マジですか!?」というのが正直な感想でしたね。

 

岡島さん 私がUターンを決意したのには、大きく分けて、2つのきっかけがありました。一つは子どもの成長です。前職が転勤ありきの会社だったのですが、出来るだけ子どもに転校させたくないと思ったんですね。もう一つは、父の定年退職です。私は学生時代を奈良で過ごしたのですが、実家のある新潟とはかなり距離があるために、祖父母が亡くなったときにいち早く駆けつけることができませんでした。何かあったときにすぐに向かえるように、できるだけ実家の近くで暮らしたいなと思ったんですね。前の会社でも新潟への転勤の希望を出してはいたものの願い叶わず、それならばいっそのこと転職しようと思って、Uターンを決めたんです。ちなみに、妻の出身は岐阜なのですが、新潟への移住に大賛成で、率先して動いてくれました。

はじめての転職活動。苦労したことは……

野村さん 転職活動で苦労したのは、履歴書や職務経歴書の作成です。休日や、仕事の合間を利用して作成を進めていたのですが、はじめての転職活動ということもあって、何度も書き直しました。新潟県U・Iターンコンシェルジュの担当者にも、何度かアドバイスをいただきましたね。せっかくだからちゃんとした写真を撮ってもらおうということで、わざわざスーツを着て写真館に行ったのも、今となってはいい思い出です。

岡島さん 私もはじめての転職活動でした。ただ、新潟県U・Iターンコンシェルジュを通して初めて面接を受けたのが近藤與助工業で、スムーズに内定をもらえたこともあり、これといった苦労はありませんでした。強いて挙げるとすれば、子どもがちょっかいを出してきて、書類の作成になかなか集中できなかったことくらいですかね。また、家族からは「もう何社か面接を受けてから考えればいいんじゃない? そんなに簡単に決めていいの?」という意見も出ましたが、色々と調べたうえで面接を受けているわけだし、「これでいい」と。いま振り返ってみても、自分の選択は間違ってなかったと思います。

創業144年、近藤與助工業の仕事とは

野村さん 当社は1876(明治9)年の創業以来、144年もの歴史を誇る会社です。長い伝統を持つ老舗でありながら、堅い雰囲気はなく、アットホームな職場で、自分の意見や仕事のアイデアを積極的に出すことができます。また、自分と同じ30代前半の社員が多いのですが、皆、個性的で、自分と同じタイプの人がいなくて「ああ、そういう考え方もあるんだ」と思うこともしばしばで、良い刺激をもらっています。

それから、同僚と話をしていると、「現場名」が出ることが多いんです。「ここの倉庫の鋼材は自分が納入した」「この幼稚園は俺」といった具合に、皆、プライドを持って仕事に臨んでおり、私もこの点に大きなやりがいを感じています。最近はコロナ禍の影響で難しくなっていますが、以前は同僚と一緒に飲みに行って、仕事の話やアホな話で盛り上がっていましたね。

岡島さん 前職はシフト制で土日も基本的に出勤していたので、子ども一緒に過ごす時間をなかなか取ることができませんでした。一方、当社は土日が休みですから、週末は家族と一緒に過ごしています。おかげで、このあたりの公園はほぼほぼ網羅してしまいましたね。子どものお気に入りは、走り回ることができて、遊具がたくさんある「山の下みなとランド」ですが、私は自宅の裏の公園がいちばん好きです。すぐに行って帰ってこられますからね。ただ、なんだかんだいっても、子どもと出掛けるのは楽しいもので、先日は長岡の国営越後丘陵公園まで足を延ばしてみました。

移住にあたって大変だったこと

野村さん Iターンで大変だったのは、何といっても家探しですね。会社の近くで探そうと思いましたが、まわりには住宅がほとんどありません。営業職で接待の機会も多いだろうから駅に近いほうがいいなと思い、ほかの地域を探してはみたものの、まったくもって土地勘がなく、地名を聞いてもピンとこない……。正直困っていたのですが、そんな折、部長に「新津」を勧められ、秋葉区内に部屋を借りることになりました。駅にもスーパーにも近く、とても便利な物件です。本当に助かりましたね。

岡島さん 私の場合は、息子の保育園選びです。家探しはそれほど困らなかったし、自宅の近所の保育園に入園させることができたのですが、その保育園がどちらかというとインドア志向で、外遊びが好きな息子には合いませんでした。ストレスを感じたのか、およそ一週間にわたり、ひどい下痢が続いたんです。幸いなことに、私が卒園した幼稚園に相談したら、運よく定員が空いていて無事入園。現在は元気一杯走り回っていますが、子どもの保育園・幼稚園選びには注意が必要だと思います。

 

Iターンで知った新潟の魅力


野村さん 自然が豊かで食べ物が美味しい。新潟が米どころだということはもちろん知っていましたが、これほど果物が豊富だということは、こちらに来てはじめて知りました。会社のまわりには桃の果樹園が広がっていますし、洋梨「ル・レクチェ」を初めて食べたときは衝撃でしたね。ただ、何よりも感動したのは、新潟の人々の温かみ、人柄の良さです。家に畑を持っている上司や同僚が野菜をくれたり、お米を格安で売ってくれたり。私はこちらにきて、生まれてはじめての一人暮らしをしているので、本当に助かります。そういえば、お客さまに梨をもらったこともありましたっけ。

10年後の仕事のビジョン

岡島さん 10年後の仕事のビジョンですか。その頃には、私の直属の上司は定年退職しているはずです。頼りの存在がいなくなる前に、学ぶことのできる部分はどん欲に吸収し、部署を引っ張っていきたいと考えます。今のうちから10年先を見据え、管理職として活躍するための基盤を強くしていきたいと思っています。

野村さん 鉄鋼業という仕事がなくなることはありませんが、今後は淘汰が進んでいくものと思います。どうすればお客さまに喜んでいけだけるかということを常に考え、お客さまに必要とされ、選んでいただける営業マンになりたい。そして、私を受け入れてくれた新潟に感謝しつつ、鉄を通じてその発展に貢献していきたいですね。新潟の街に当社の鋼材や建材をたくさん使った、大きなビルが建設される日がくるのを夢見ています。

≪近藤與助工業株式会社のページはこちら≫

U・Iターンしたい方へメッセージ

野村さん “やらない後悔より、やって後悔”――。これに尽きると思いますね。こちらに来る前は正直不安もあったのですが、悩んだ挙句に何もせず、前の会社に残っていたら、きっと大きな後悔が残っていたはずです。また、“思い立ったが吉日”。今年に入って、新型コロナウイルスの感染拡大が始まってからは、動きたくても動けなかったでしょうからね。

岡島さん そうですね。U・Iターンを考えている人のなかには、現在勤めている会社を辞めるに辞められないという方も少なくないと思います。かくいう私もそうでした。以前私が務めていたのは社員3人で運営している店舗だったのですが、私が辞めて2人になると、同僚が休みを取れなくなってしまうし、私しかやったことのない業務を誰がやることになるのか……。お世話になった会社、同僚に迷惑をかけるわけにはいかないというので、次の一歩をなかなか踏み出せなかったんです。背中を押してくれたのは妻でした。「あなたがいなくたって会社は回るんだから」「新潟に帰るんだから、早く辞めて、向こうで仕事を探しなさい」と。結局のところ、私が前職を辞めて半月は2人でお店を回していたそうなのですが、新しい人がやってきて何とかなったんですよね。とにもかくにも飛び込んでみることだと思います。